序?

 最近のわたしは、外見に対するコンプレックスからか、観られる演劇から逃れつつも、演劇と共にいられるかを考えてきた。演じることの楽しさ。観られる立場にいることの恐ろしさ。恐怖と一緒に感じる高揚感。そして、これらのバランスが崩れ、恐怖が勝ってしまったときに、演劇から観客の見ている目をとっぱらいたい、と考えるようになってしまった。
 しかし、観客を取り除いてしまったら、劇空間は成立しないのではないだろうか?どうしたら、逃げることなく演劇と付き合っていけるだろう。
 まず、暗闇で劇を演じたらどうだろう?と思った。何も見えない真っ暗闇、でも、観客は存在する。そして観てはいるのだ、暗闇を。そしてそこで演者は、視覚的な悩みからは無縁でいられる。背が低くても、ハゲていてもかっこいいヒーローになれる。太っていても、かわいくなくても絶世の美女になれる。…という可能性が生まれる。
しかしそれでは、ラジオドラマなどと変わらないものになってしまうだろうか?いや、生の力、同じ空間を共有する、という違いがあるはずだ。暗闇の中で観客の感覚は、いつも以上に冴え、呼吸や足音までが気になり、想像が広がっていくのではないだろうか?
 
 他の方法として…
  空間作りに演劇を利用するという方法・・
  仮面をつけて演じる・・ルコックメソッド
  人形劇・・パペットの利用
 などについても考えたい。

ブスかわ

 ブスかわという言葉がある。
 ブスとかわいいは対極であるはずなのに、その二つが合わさってしまっている。ブスなんだけど、かわいい。変だ。けど、この感覚は、わかる気がする。
 先日、ブスかわちゃんコンテストというテレビ番組を、チラッと見た。全国から集まった、ブスかわちゃん達・・・しかし、わたしは違和感をおぼえた。彼女たちは、全員太っていたのだ。彼女たちは、ブスかわいいではなくて、正確にはデブかわいいだと思った。
 ブスとデブは、混同されがちである。ブスの種類としてデブという項目もあるのかもしれないが、わたしは、ブスかわいいと、デブかわいいは、分けるべきだと思う。デブかわいい人は、痩せればデブがとれて、かわいいになるはずなのだから。

不美人故に・・・

 研究室から借りた「不美人論」読んでます。
 
 かわいい子コンプレックス、お金持ちコンプレックス。
 誰からも(無条件に)愛されて、(無条件に)恵まれている人なんて・・・
 うらやましいんじゃーー!!

 と、ねたみの塊のようなわたしの感想は・・・
 なんだ、やっぱりそうじゃん!って感じ。

 
 美人は生まれながらの才能。家柄のようなもの。
 だから、不美人の人は、他で色々補わないといけない。
 やっぱりそうじゃん!!
 
 でも救われたのは、わたしと同じように考えている人がいたということ。
 そして、声を大にして容姿に対する悩みを発言してくれていたこと。

 
 「モテ」を考えるには、自分のコンプレックスと闘いながらやっていかないと・・・!
 ということで「不美人論」を支えにしたい。
 もうしばらくお借りしたい本であります!
 
 

テーマ?

  〜方法としての演劇〜

 *演劇を「観せる」という方法だけでなく「参加させる」方法で活用したい。(ドラマゲーム?)
  ・どうしたら、参加してもらえるか?
   対象が興味を持ちやすいテーマ→モテ?
 *モテとは何か?(一言では言い表せないモテを検証する)
  ・外見のモテ
  ・内面のモテ
   コミュニケーション能力

      ↓ 

 *モテにテーマを絞ったドラマゲーム
  ・起こりうる様々なシュチュエーションを設定し、グッとくる瞬間を演じてもらう。
  +ときめき!日常編
   恋に落ちてしまうような瞬間は?
  +こんな時どうする!?対処編
   彼(女)の鼻毛が出ていたら?
  +大事な!決戦編
   告白?プロポーズ?


  

  

モテパワー!!

・・・いろいろあって、研究テーマが変わりつつ、悩みつつ・・・


「モテ」について考える。


モテって言っても、モテる対象によって様々な種類がある。
異性モテ、同性モテ、動物モテ・・・。
でも、やっぱり気になるところは、異性モテ!?


・異性にモテるには、どうすればいいの?
 モテる外見、モテる内面。

・モテ力(モテりょく)=コミュニケーション力
 この式は、成立するのか?

・データを集めて、発表!
 芝居にする?
 エセ合コンを仕掛けて、効果を実験する?
 モテセミナーを開催する?


んー。「モテ」は、わたしにとって半永久的なテーマであるぶん、的をしぼらないとまとめきれない予感・・・。

やっと・・・

 やっとです・・・!
 三年寝太郎みたいなパワーが発揮できればいいんだけど(汗)

 視覚的な悩みを持った(毛が薄い、太っている、背が低い・・・)人たちに、演劇を通して悩みを軽減してもらうのは、簡単ではない。今までわたしが、演者や観客として関わってきた演劇は、ヒーロー、はまだしも、ヒロインは美しくないと許されなかったからだ。観られる、ということを考えると仕方のないことかもしれないけど・・・。
 でも、芝居の楽しいところは、自分じゃない「何か」になれるというところにもあるはず!なら、なってしまえばいいんじゃないか?絶世の美男にも、美女にも!
 しかし、視覚的な説得力がないぶん、ほかの説得力が必要。声が素敵な人なら、暗闇の中で芝居をしていけばいいんじゃないかな?でも、それだとラジオドラマや、アニメと変わらなくなっちゃう?・・・いや、生の力があるはず!きっと。
 ちょっと視点を変えて・・・そもそも「ごっこ遊び」は、もっと気楽なものだった。おばあちゃん役の子も、赤ちゃん役の子も、みんな同年代なのだから。
 「ごっこ遊び」のように、観せることを考えないと、もっと方法がありそうだ。

研究テーマ

On Apr 25, 2006, at 13:5, 徳田 wrote:

精神的に負担をかかえる人(うつ病など)の負担を、演劇の力によって軽くすることができるか。

  1. 演劇の行為は、人と触れ合ったり、自分自身を客観的に見るということができる。それによって何か変われると思うので、その変化をみたい
  2. 「自虐」行為をする人(例えばリストカットをする人)は本当に自分を傷つけたくてやっているのか、一種のパフォーマンスとしてみんなに見せたくてやっているのか知りたい
実際にワークショップをしたり、その人たちと話をして研究を進めていきたいと考えている。



<ディスカッション中にでた意見>
精神的に負担をかかえる人=病気ではない。社会的に病気とみなされなくても負担をかかえている人はいるので(頭の毛が薄い、身長が低い、結婚してない等)